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ファーマーカワハラのエッセイ「晴耕雨読」1月30日2021.01.30

元禄15年12月14日(新暦では1703年1月30日)未明、大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47名、いわゆる「赤穂四十七士」は吉良邸へ討ち入り、吉良上野介の首を討ち取りました。事の発端は、江戸城殿中松の廊下で、赤穂藩藩主浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかったことによります。この事件で、加害者となった浅野内匠頭は即日切腹、一方被害者とされた吉良上野介はお咎めなし。その結果を不服とする赤穂藩大石内蔵助を始めとする赤穂浪士が決起した事件です。忠臣蔵といえば師走の風物詩で、雪が降る中を赤穂四十七士が行進するシーンが象徴的ですが、新暦では1月30日の出来事でした。昨日は御津でも雪が舞い、まるで討ち入り前夜の様相を呈していました。

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